商品開発の課題
商品開発に関わった経験がある方であれば、商品化において最も困難で重要な課題のひとつが「再現性」であることをご存じかと思います。再現性とは、品質を一定に保ちながら、いつどこで購入しても同じように楽しめるということです。これを達成するためには、製品の特性や製造過程が精密に管理されている必要があります。コーヒーという商品において、再現性をどのように確保するのでしょうか?
コーヒー単体を商品として見た時、そのクオリティはどう維持すべきでしょう。一期一会と割り切ることもブランディングのひとつでしょう。しかしまず参考にすべきは大手の戦略とその理由です。クリームや砂糖を加えた商品を看板に据える理由を考えたことはありますか?「コーヒーと砂糖」でも述べましたように、甘いコーヒーが商品として価値があるか否かは歴史が保証してくれています。
コーヒーはめんどくさい
あるところでは、コーヒーは「果実」であると言われることがあります。確かに、コーヒー豆はコーヒーチェリーという果実の種子です。そのため、栽培や収穫の条件によって品質が大きく左右されます。コーヒー豆が商品として私たちの手元に届くまでには、収穫、輸送、焙煎、抽出という複数の工程を経る必要がありますが、完成された1杯のためにはそれぞれの段階で気をつけなければならない要素が多くあります。
まず、収穫の段階では、収穫ロットの違いによって、同じ農園で栽培されたコーヒー豆でも品質が異なることがあります。農園内の微気候や土壌条件のわずかな違い、さらには収穫時期や収穫後の処理方法も品質に影響を与えます。また、収穫されたコーヒー豆は輸送される間にも天候や保管条件によって湿気を吸収したり乾燥したりします。このような違いが積み重なると、結果として同じ農園のコーヒーであっても収穫ロットが違えば異なる味わいになる可能性を孕んでいるのです。
次いで焙煎の工程も同等に重要です。コーヒー豆は焙煎されることで、その中に閉じ込められていた風味が引き出されますが、焙煎のプロファイル(温度、時間、火力の強さなど)は日進月歩、世界中の倍戦士たちによって今や非常に複雑化しています。焙煎士たちは、コーヒー豆の特性を最大限に引き出し、また安定した品質を保つために技術を磨き続けています。しかし、どれほど技術が進んでも、豆そのものの性質が毎回異なるため、完全に完璧に同じ仕上がりにすることには一定のハードルが存在しているのです。
消費者に届けるためのバリスタという名のアンカー
コーヒー豆が焙煎された後は、消費者に飲んでいただくための抽出が行われます。この役割を担うのがバリスタです。バリスタは、エスプレッソやドリップコーヒーなど、さまざまな方法で抽出を行いますが、この工程には専門的かつ正しい知識と「それなりの」訓練が必要です。特に浅煎りのコーヒーが主流となっている現代では、焙煎度合いによって品質管理の難易度がさらに高まっています。浅煎りは深煎りに比べて風味がデリケートであり、抽出中の温度や時間、圧力などの条件によって品質に大きくブレが生じます。焙煎度合いとコーヒーの抽出の難易度は相関関係にあるのです。
コーヒーの不安定さ
コーヒーが商品として非常に不安定である理由はこのような工程と条件の複雑さにあります。コンビニに並ぶ缶コーヒーや、フリーズドライのインスタントコーヒーが淹れたてのコーヒーと「何か違う」と感じられるのも、コーヒーの性質そのものによるものです。缶コーヒーやインスタントコーヒーは、その製造過程で再現性を高める工夫がなされていますが、それゆえに淹れたてのフレッシュなコーヒーの味わいとは異なって当然なのです。
こうした不安定さを補うために「便利な」役割を果たすのが、ミルクと砂糖です。ミルクと砂糖を加えることで、コーヒーの不安定さを補い、品質を一定に保つことができるだけでなく、消費者層を拡大する効果もあります。キャラメルマキアートが大好きでブラックコーヒーを全く受け付けない客層は果たしてニッチでしょうか。
スターバックスの戦略と焙煎度合い
ミルクと砂糖に負けないコーヒー感を維持する為には深い焙煎が適していると考えられます。全世界で圧倒的な店舗数を誇るスターバックスは、そのコーヒー豆の焙煎度合いを「イタリアンロースト」と呼ばれる深煎りのカテゴリでも最も深いところに設定しています。この選択には当然に理由があります。まず、深煎りのコーヒーは浅煎りに比べて味が安定しやすいという点です。しっかりと豆の水分を飛ばす深煎りでは、豆の風味の個性よりも焙煎による香ばしさが前面に出るため、収穫ロットや輸送条件の違いが味に与える影響を比較的抑えられます。またエスプレッソという特殊な抽出においては深煎りは浅煎りに比べ断然に安定力があり、スタッフに求められる適切な抽出を行うための技術レベルをグッと下げることができます。(今ではフルオートマシンが採用されており、そもそもの「適切な抽出を行うためのスタッフの技術すら不要となっているのです。コンビニコーヒーでも述べた全自動マシンの性能を窺える一つの要因と言えるでしょう。)「深煎りのコーヒーの方が大勢に好まれる」という統計的事実も相まり、スターバックスのコーヒーは多くの人々に親しまれる商品として広がりを見せたのです。
大手コーヒーチェーン
スターバックスをはじめとする大手コーヒーチェーン店の存在は、こうした複雑な条件をクリアするためのシステムが整備されていることの証でもあります。チェーン店は、生産から消費に至るまでの全工程を管理することで、安定した商品を提供する仕組みを構築しています。その裏には、農園との契約や品質管理、物流、店舗運営に至るまでの膨大な努力があるのです。コーヒーは、その起源から商品としての性質を持つまで、多くの工夫と挑戦を経てきました。その過程で直面する「再現性」という課題は、コーヒーを扱うすべての人々にとって永遠のテーマです。しかし、その不安定さを克服するための努力が、コーヒー文化をより深め、豊かなものにしています。こうした努力の結果として、今日の私たちはバリスタが淹れる一杯のコーヒーから、手軽なインスタントコーヒーまで、幅広い選択肢を楽しむことができるのです。